昔の日本の骨関節医術

世界各地の伝統的な医療の術 ( 医術 ) と同様、日本にも古来の様々な医術があった。

中世以降、外傷に対するもの、特に骨関節の外傷に対するものなどは、戦場での医術として武術を基にするものが生まれた。

日本の骨関節の外傷に対する医術は " 骨接ぎの術 ( 接骨術 ) " として、施術者の個人技、さまざまな流派の骨接ぎの術として、徒弟制度のもとで伝承されてきた。

武術と共に発達した接骨術、なかでも柔術家の手による接骨術が、柔術の各流派で伝承された。

近代日本の外科医療

1500 年代の半ば、蘭学としてオランダの医学が伝わり、西洋医学の外科学が日本の医術に取り入れられていくようになり、西流、栗崎流などのオランダ医学を取り入れた医術の流派が生まれた。

外傷に対する医術、骨関節に関する医術にもオランダ医学が取り入れられた。

医者、骨接ぎの施術者の中には伝統的な接骨術を用いるもの、武術によるもの、中国の医術を取り入れるもの、西洋医学を取り入れるものなど、様々いて、また、医者と接骨術者との違いも混沌としていた。

江戸時代の外科 楢林流

元禄、徳川 5 代将軍綱吉の頃、楢林鎮山 ( 新五兵衛 1648 - 1711 ) は、オランダ医学の外科学を取り入れ、フランスの外科医、アンブロワズ・パレの著作 " パレ全集 " をもとに 1706 年、" 紅夷外科宗伝 " を著した。

数百人の門弟を持ったといわれているが、門人の中に貝原益軒がいる。以後、楢林家は代々、楢林流蘭方医として知られた。

アンブロワズ・パレ Ambroise Pare 1510 年頃 ( 1517 ? ) 生 - 1590 年没
当時のフランスの正規の医学教育を受けた医師ではなく、床屋外科医 ( barber-surgeon ) と呼ばれる医術者であった。
パレ全集は、本邦では外科書、外科全集などとも呼ばれている。
骨折、脱臼の治療法も記述されている。

華岡流外科

オランダ医学の医者を父に持つ華岡青洲 ( 1760 - 1835 ) は、曼陀羅華 ( まんだらげ ) の花を主成分とした薬草に麻酔効果があることを発見、全身麻酔薬 " 通仙散 " を完成させ、1804 年、これによる全身麻酔での手術を初めて成功させた。乳癌手術をはじめ、数々の外科手術を行い、手術器具なども工夫、開発した。

日本古来の接骨術にオランダ医学の外傷学を取り入れた。

華岡青洲は技術を秘伝とし著作を残さず、弟子たちが記録や絵図を残している。華岡青洲整骨秘伝図、春林軒治術図識や、美濃の国 ( 岐阜県 ) の医家、不破家に伝わる青洲の手術絵図教本等である。肩関節脱臼の整復法は、ヒポクラテス法やパレの外科全書の図と同じ方法も記されている。

その他、江戸時代の外科医術、骨関節医術の医者

高志鳳翼
骨継療治重宝記 ( 1746 年 ) 著作。中国古来の医術、オランダ医学の外科学、外傷学を学んだと伝わっている。
三浦楊心
三浦流柔術の祖、医者、接骨術を研究
吉原元棟
武術者、拳法と按摩術をもとに " 正骨要訣 " を著した。
秋山四郎兵衛義時
楊心流柔術の祖、接骨術を考案。
吉雄耕牛 ( 1724 - 1800 )
長崎の医家。オランダ人医師から学び、吉雄流紅毛外科として外科に優れた。外科に吉原元棟の接骨法も取り入れ、門人に二宮彦可がいる。
二宮彦可 ( にのみやげんか )
小篠東海 ( 周防守家藩医小篠家 ) の長男。中国医学を取り入れ、1807 年 " 正骨範 " を著した。
各務文献 ( 1765 - 1829 ?、1754 - 1819 ? )
大阪の接骨医術者、蘭学医。1810 年 " 整骨新書 " を著した。

参考


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Last-modified: 2008-09-10 (水) 13:43:16 (3358d)