*ユーロピアノ事件 [#p4025e15]

**東京地裁平成14年12月25日判決(平成14年(ワ)第12150号、賃金等請求事件) [#c80c20d7]

出典 : 濱口桂一郎政策研究大学院大学教授 http://homepage3.nifty.com/hamachan/europiano.html

-労働経済判例速報1838号3頁
-〔参照条文〕労働基準法9条、民法623条

[事実]

Ⅰ 原告XはYの「研修生」であった。Yは楽器の輸出入卸売・小売業を営む会社である。

Ⅱ 1  平成12年1月、音楽大学ピアノ調律科学生であったXはYの採用面接を受けた。YはXを「営業社員としては不的確(ママ)」であるが「出身大学と今後良好な関係を保つ必要」から、導入を検討していた「ピアノ調律技術者研修生」として「採用」した。平成12年3月1日、YはXを研修生として採用する旨告知し、「研修生(社員)採用規則」と題する契約書を交付した。研修生として他に2人採用された。

2 本件契約は「研修を要するピアノ技術者に適用」され、「研修期間中は、本人の技術の向上と会社の利益に貢献することのバランスをとる前提で業務に従事する。ピアノ販売に関する総合的な知識・経験の修得も目的とする」。「給与は6か月間は、初級技術習得後はアルバイト料を支給することはあるが原則無給、その後は時給を支給し、一定技術習得後は月給を支払う」。研修期間は最長2年間で、「研修生の採用は研修開始後1か月に1次判断をし、その後3か月ごとに試験を実施して進級を判断することを原則とする。正社員として採用する場合は、一通りの課程修了後、試験を実施する。終了後は優先的に正社員採用を考慮するが、期間中に将来社員としてふさわしくないと考えられる場合は、直ちに当契約を解除できる」。なお、契約中には「給与・休暇等の規則は、・・・この雇用契約を締結する上で、現行の労働基準法に当てはまらないことを了解する」「労働時間」「労働契約書」等の記載がある。

3 XはYにおいて3月3日から4月11日まで、ピアノの運搬、出荷作業を含む「研修」に従事した。YはXに対して(時期に争いあり)、3月は事前研修で4月から研修を開始すると告知した。Xの主張では、この間、Yの作業主任者KによるXに対する精神的苦痛を与える行為や言動が行われた(Yは否定)。4月11日、Kに「営業がやりたいなら、Yで技術研修するのではなく、他社に就職活動した方がいい」と言われ、Xは研修を「辞めた」(Xは解雇と主張)。

Ⅲ XはYを相手取って、賃金請求、解雇予告手当及び付加金の請求、債務不履行(正社員として採用する約束)による損害賠償、不法行為(トイレ掃除や朝礼での痛罵等)による損害賠償、を求めて提訴した。また訴訟中、Xの請求に、Yの不法行為として、在籍期間証明書不交付、調停での虚偽説明、タイムカードの破棄、長期の試用期間を定めた公序良俗違反、契約書の不当表示・説明義務違反、面接時説明義務違反等を追加している。なお、本件は原告の本人訴訟である。
 
[判旨]すべて棄却
Ⅰ 1 「労働者とは、労働の対償として契約に定められた賃金を支払われる者をいうから(労働基準法9条、11条)、同法にいう労働契約とは、使用者が労働者に労務の提供の対償として報酬を支払うものをいうと解される。また、民法623条によれば、雇用契約とは、雇用者が被用者に対し、労務に服することに対する報酬を与える約束をするものをいうと解される」。

2 本件契約書には「労働の対償としての賃金を支払うことやその金額、賃金支払開始の具体的時期についての記載はなく、報酬ないし賃金の支払いが当事者の合意の内容となっていないことが認められる」。従って、「本件契約には労働契約の不可欠の要素である労働の対償として支払われる賃金についての合意がないから、本件契約は労働契約ではないというべきであるし、同様の理由で雇用契約ではないというべきである」。

3 本件契約書に「雇用契約」「労働契約」等の記載があることに対して、「当該契約が労働契約か否かは、契約書の個々の文言に捕らわれることなく、その実質により決せられるべきであるから前記判断を左右しない」。

4 本件契約は労働契約ではないとの判断から、「その余の点について判断するまでもなく」、賃金請求並びに解雇予告手当及び付加金の請求は理由がないとして棄却。

Ⅱ 債務不履行による損害賠償請求については、「2年以内に正社員として採用する旨の合意は本件契約の内容となっていない」として棄却。

Ⅲ 不法行為による損害賠償請求については、トイレ掃除や痛罵等については「事実を認めるに足りる的確な証拠はない」として棄却。また在籍期間証明書不交付やタイムカード破棄等については「本件契約は労働契約でないから」「被告において在籍期間の証明書を交付すべき義務はな」く、また「原告のタイムカードを保存すべき義務はな」いとして棄却。
 
[評釈]判旨に反対。ただし結論は概ね一致。

Ⅰ 本件の主たる争点は、本件「研修生」契約が労働契約に該当するか否かであり、その余は事実認定の問題であるので、以下この問題に絞って論ずる。

Ⅱ 1 本件判決は、「労働契約か否かは、契約書の個々の文言に捕らわれることなく、その実質により決せられるべき」と労働者性に関する実質判断原則を引きながら、その「実質」の内容を「賃金についての合意はない」ことにのみ求めている。通常、労働者性の判断基準としては、指揮監督下の労働という労務提供の形態と報酬の労務に対する対償性が挙げられる(昭和60年12月19日労働基準法研究会報告『労働基準法の「労働者」の判断基準について』)が、これらについて検討された跡はない。

2 しかしながら、本件の場合、むしろ「賃金についての合意がない」との認定に問題がある。本件契約書では「給与は・・・原則無給」とされており、「原則0円」という「賃金についての合意」があると認定すべきであったと思われる。仮に契約書に「給与は6ヶ月間で1円とする」と書いてあったとすれば、(法違反の問題は格別)労働契約でないとの認定はあり得まい。それが「0円」であれば自動的に労働契約ではなくなると考えるのは著しく不均衡である。しかも、0円というのは「原則」であって、「アルバイト料を支給することはある」のであるし、6か月後は時給に移行することが予定され、これらを含めて「給与は・・・」と規定しているのであるから、これは0円であることを含め金額不確定の「賃金についての合意」があると認定すべきであった。

3 さらに、労働基準法及び民法においては、金額が完全に0円であっても「賃金」ないし「報酬」に該当しないわけではない。労働基準法及び民法の立法者意思を確認すると、労働基準法9条について「ある種の接客業に従事する女子の如く、唯単に客より報酬を受けるに過ぎない者」であっても、「客より報酬を受けうる利益」も賃金に含まれるとされ(寺本広作『労働基準法解説』)、また「労働の対償として一定の営業設備の使用が認められておれば、それもまた賃金」としており(『日本立法資料全集労働基準法(第53巻)』)、0円の賃金合意は想定している。また民法623条については、穂積陳重が「此報酬ハ金銭ニハ限リマセヌコトハ勿論言フヲ俟チマセヌ前ニ申シマシタ習業者ニ対スル世話ト云フヤウナコトデモ宜シイノデアリマス」(『法典調査会民法議事速記録四』)と述べている。穂積の言う「習業者ニ対スル世話」はまさに本件における研修に相当しよう(明治23年の旧民法では「習業契約」として独立の契約類型であった)。

4 従って、「賃金についての合意がないから、本件契約は労働契約ではない」し「雇用契約ではない」との判断には疑問がある。本件契約は労働契約であり、雇用契約であるというべきであろう。

Ⅲ 1 しかしながら、現行法上本件のような契約が正当と認められるかどうかは別である。民法上は明らかに予定されている雇傭契約類型の一種であるといえるが、労働基準法上はこのような労務の提供と「習業者ノ世話」との双務契約は、通貨払いの原則(24条)及び最低賃金法に違反する可能性が高い。通貨払い原則は「法令若しくは労働協約に別段の定め」があれば適用除外が可能であり、また最低賃金法は、試の試用期間中の者及び認定職業訓練受講者については、都道府県労働局長の許可を受けて適用除外とすることを認めている(8条)が、本件には該当しない。さらに、そういう契約類型自体、「徒弟、見習、養成工その他名称の如何を問わず、技能の修得を目的とするものであることを理由として、労働者を酷使してはならない」(69条)に違反する可能性もある。

2 そうすると、通常の労働法学の考え方では、本件労働契約においては「原則無給」との合意は無効であり、Xは少なくとも就労期間について一定額(少なくとも最低賃金額)の賃金請求権を有するという結論になりそうである。これはこれなりに筋の通った考え方ではあるが、現実妥当性に問題があると思われる。労働経済学的に言えば、通常の企業内訓練においては、訓練期間中の訓練コストや生産性の低い労務提供と(相対的に高い)賃金水準との差は企業側の持ち出しとなるが、訓練終了後の生産性の高い労務提供と(相対的に低い)賃金水準との差によって埋め合わされると考えられる。この場合、訓練終了後も長期継続雇用することへの期待がこのような長期的な取引を可能にしているが、労働力が流動化してこのような期待が一般的に持てなくなるとすれば、別途の訓練コスト負担方式を考える必要が出てくる。今後の労働市場の動向を考えると、その必要性は高いと考えられる。しかも、本件はピアノ調律師という高度の(芸術的センスを含む?)技能を要する職種であり、訓練終了後に生産性の高い労務提供が可能であるとは必ずしも言えないことも考慮に入れる必要があろう。原則無給の「研修生契約」を禁止してしまうことは、当初から有給で採用することは困難な限界的労働者に対して、雇用の道を閉ざしてしまうことにもなりかねない。

3 現行法解釈上、本件のような契約が正当と認められる余地はないであろうか。第1に、採用内定と同様の法的地位にあると考え、解約権留保付き就労始期付き労働契約(大日本印刷事件(最二小判昭54・7・20))が成立しているが、労務提供とこれに対する賃金支払いは発生していないと構成することが考えられる。内定期間中に研修への参加を求める例は多いことから、本件「研修生」契約もこれに当たると考えるのである。この場合、ピアノの運搬、出荷作業も調律技術の研修の一環であったとする必要があり、やや無理がある。第2に、さらに技巧的であるが、Xの労務提供に対する賃金債権とYの研修サービス提供に対する代金債権を相殺する合意があったと構成することが考えられる。これは当事者の明示の意思に反するように見えるが、そもそも当初6か月を原則無給とした趣旨は労務提供と研修実施を対価関係に置くことにあったと考えられる。

4 以上のような解釈が可能であれば、本件における主たる請求である賃金請求及び解雇予告手当等の請求は棄却されることになるが、労働契約の存在は肯定されるため、本件判決が「労働契約でない」との理由で棄却している在籍期間証明書不交付、タイムカードの破棄等については、事実認定によっては異なる結論があり得る。

しかしながら、実は労働契約の存在を肯定する意義は、本件ではXの請求に含まれていないが、Yの側からの研修契約の解除を解雇として地位確認や慰謝料の請求を認めたり、「研修」中の事故を労働災害と認定しうる点にある。

Ⅳ その意味では、これは本来、立法的解決を図るべき問題であろう。現行民法上認められている労務の提供と「習業者ノ世話」との双務契約は、昭和47年の労働基準法では一定の技能職種について「技能者養成契約」として構成され、契約期間、賃金の支払い、最低賃金、危険有害業務等について別段の定めをすることができることとされ(70条)、これが職業訓練法(現在の職業能力開発促進法)に基づく認定職業訓練(同法24条)に変わって現在に至っている。しかしながら、認定職業訓練の基準は公共職業能力開発施設における職業訓練基準と同一であり(同法19条)、製造業を主に念頭に置いたもので、ピアノ調律技術のようなものは含まれていない。

公共職業訓練の存在を前提としてそれと同等の訓練を使用者が行う場合にのみこういった契約を認めるという法的枠組みを前提とすると、公共職業訓練の手に負えない技能についての技能者養成は、①完全な労働契約として一定期間使用者側のコスト負担を求めるか、②労働契約ではないとして本来与えられるべき労働者保護を失わせるか、という選択にならざるを得ない。①が労働法学的には正しい解決であっても、労働経済学的には問題があること、労働力が流動化すれば①がますます困難になることは前述の通りである。その意味でも、公共職業訓練とは切り離した形での一般的な「研修生」契約を概念化する必要性が高まってきていると思われる。

Ⅴ 本件は一音楽大学卒業生による本人訴訟であり、それ自体としてはほとんど世人の関心を呼ばない小事案であるが、立法政策に対して含意するところは意外に大きいものがある。


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