医療の歴史的背景 †

医師は医療の中心的役割を果たしてきました。この医師の歴史的変遷について簡単に述べます。医師は、昭和 20 年代から 30 年代においては尊敬されていました。それは医師が投与する抗生剤によって、それまで多くの人々が死んでいった感染症が魔法のように治ったからです。

昭和 40 年代は医師の驕りの時代でした。銀座で遊んでいるのは医師ばかりといわれた時代がありました。しかし昭和 50 年代になり、日本医師会長・武見太郎が引退するとともに医師の特権が低下してゆきました。武見太郎の政治力は日本医師会長としての政治力ではなく、武見太郎の個人的な政治力だったのです。

武見太郎が引退し、日本医師会の力が次第に低下しました。そして平成の時代になると薬害エイズ、治験における医師の逮捕などがあり、医師への信頼性が低下し、現在は、医療事故が多発し、医師バッシングの時代になっています。

また昭和 50 年代後半から日本の医療は「医師会主導から厚生省主導」になりました。かつて新人厚生大臣は日本医師会長・武見太郎の所へ挨拶に行きましたが、武見太郎の引退後はそのようなことはなくなりました。

また医療は医師主導から患者主導になりました。それまで医師には父権主義というものがありました。つまり最も良い医療を知っている医師が患者さんの希望とは関係なしに良いと信じた治療をおこなっていたのです。しかしそれが一つの事件で変わりました。

それはエホバの証人事件です。輸血を拒否するエホバの証人に対し、生命を守るため輸血を行った医師の違法性が裁判で争われ、その結果、輸血を行った医師が最高裁で敗訴しました。つまり「患者が拒否する治療は、医師が正しいと思っても行ってはいけない」ということが決められたのです。このことから医療における患者への説明と同意が進んだのです。

この医師の父権主義は、今は少なくなっています。しかし「患者を診てやっている」という誤った意識を持っている医師がまだいることも事実であり、このことが国民の無言の医療批判になっているといえます。医師の意識改革もまだ十分ではありませんが、患者中心の医療という考えはだいぶ浸透しています。

昭和 36 年に国民皆保険制度が設定されましたが、国民皆保険制度が始まった当時は、主な疾患は感染症でした。感染症は数日間の治療で勝負が決まったので医療費は安くすみました。また癌が見つかってもほとんどが末期癌でした。当時は、高脂血症の概念さえなかったのに、現在では高脂血症のクスリがあり 20 歳から飲み始めると死ぬまでに大体 2000 万円かかるとされています。心筋梗塞になった場合、かつては点滴をして安静にしているだけでした。しかし現在では、心臓の専門医が夜中でも駆けつけ特殊な治療を行います。腎不全で多くの人たちが亡くなっていましいたが、現在では血液透析の治療を受けている患者さんは約 236 万人で、血液透析に掛かる金額は年間 1 兆円になります。この 23 万人という日本の患者数は全世界の血液透析患者の 3 分の 1 を占めています。日本の血液透析患者は自分の病気に嘆いているでしょうが、世界的にみれば日本の腎不全の患者さんは恵まれています。

昔と今の治療は雲泥の差があります。疾患そのものが老化に関係する慢性的な病気に変わっているので、医療費は当然高くなります。つまり昭和 36 年に設定された国民皆保険制度そのものが限界に来ているのです。

国民皆保険制度はいざというときの助け合いの制度です。しかし、これだけ高齢化が進み、医療が進歩しているのですから、低負担の高医療の発想は成り立ちません。高医療を求めるならば高負担が必要です。その負担増を誰がどのような割合で負担するかを議論すべきです。


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Last-modified: 2008-09-10 (水) 13:52:51 (3360d)